ほぼ下書き日記

詩や日記…日々の記録です。いつか下書きから本番へなるための軌跡。

あと1年後の今日が自分の命日になるとしたら。

ひすいこたろうさんの本を読みました。明日死ぬかもよ?という本です。

余命1年。そう考えた時に
自分は何をやりたいんだろう?
自分は今日なにしたい?
そして1年後、どんな自分になっていたい?


第53回宣伝会議賞グランプリを取りたい。キャッチコピーの超新星と呼ばれたい。
kzさんと曲を作りたい。私の作詞とkzさんの作曲で。
詩を書きたい。個展を開きたい。本を出したい。
やりたいコスプレをしまくりたい。それで好きな曲で踊りたい。歌ってもいい。演奏したい。
写真を撮ってアルバムを作りたい。
海の見える家で暮らしたい。毎日海に行きたい。
大好きな人と笑ったり泣いたりして過ごしたい。大好きなものに囲まれて過ごしたい。大好きなことと余生を共に過ごしたい。
大切なものとそうでないものの区別をはっきりつけたい。それ以外のものを勇気を持って断ち切りたい。そして本当に大切なものに全力で愛を注ぎたい。楽しい時間を使いたい。

そして命が終わる時には、
自分の人生で無駄なことはなかった、全ては糧になり、自分を輝かせるものだった!と伝えたいです。

あと1年で終わるなら…
わたしはそう思いました。
これが本音なんだと。

今やっていることは本当に、自分のやりたいことなのか?と考える時
"後1年で"というリミットをつけると

周りの目線を気にした表面上の願いは削ぎ落とされ、後は本音の願いが残る。

生きると死ぬはセットなのに、
死ぬことを忘れて生きてしまうよね。
わたしはこの世に絶対、ということはないと思ってるけど
生きて、死ぬことだけは絶対だと
思うし、知っています。

メメントモリ。死を想え。

という言葉がありますが、
死を想うなんて怖くてできないですよね。
死は怖いです。
だからきっと、みんな目を伏せているんじゃないかな。目をそらしてる。

それでも、死は身近に潜んでる。
自分の影みたいに、いつでもついてくる存在。
ある日あなたを丸っと飲み込んでしまう。それはあなたに知らされず、突然に。そして消えてしまう。
そんなことを忘れてしまうんです。
生きていると忘れてしまうんです。
しかも幸せに生きてると忘れてしまうんです。
そう、2時間前のわたしみたいに。


わたしは数年前に大事な人を立て続けに亡くしました。
そのとき、わたしはいつだって死を意識せずにはいられませんでした。
あれたけ大好きだった人も、こんなにあっさり死んでしまう事実を
受け入れることは困難でした。
だけど、どんな人だっていつかは
こうなるんだ、と
目の前でダイレクトに経験したのです。
本やテレビで語られるようなものでなく、生身の人間の体を持って。

きっと、彼らはやりたいことはたくさんあったと思うんです。実際にわたしは聞いていましたから…。
1人はご飯すら食べれず毎日点滴の中、ファミレスのハンバーグが食べたいなぁって言っていました。
それはわたしにとって当たり前にできること、でした。
1000円と30分くらいの時間があれは叶うことです。
たったそれだけのことを、望んでいた。
それすら叶わずに逝ってしまった。

ファミレスでハンバーグを食べるような
当たり前のようにしていたことが
当たり前にできなくなる日がくるのだと
実感します。


身を以て経験させてくれた、
下さった、
わたしは思いたい。


だから、それだからこそ
忘れがちな毎日に、
死を遠くに思いがちな自分に、
問いかけていきたい。


自分にとって大切に想うのは何かな?
当たり前は当たり前じゃないかもしれないね?
明日、死ぬかもよ?

ってね。